2008年04月09日

真のシンプルライフ

おつかれさま。

ふらっとよったインテリアショップ。二階のカフェの前にある書籍たち。

写真集やお料理のエッセイなんかもあって楽しい。

だけど手に取ったのがお坊さんの書いた本。

以前どこかのカフェで手にした雑誌の一部分にこの著者の書いた文が印象的で記憶をたどる。

たしか「おばあちゃんが一番のきれいを持っている。」そんな話。時代を経ていろんな経験を積んだ顔やしぐさなどが綺麗と感じるというお話だったと思う。


手にした本をカウンターに持っていくことはしなかったけど、今日一日その本のことが頭から離れなかった。



パラパラとめくったページには、歩くこと、寝ること、恋すること、音楽を聴くこと、美味しいモノを食べること、掃除をすることと題していろいろ綴られていた。

シンプルな毎日をどう丁寧にきちんと生きるか、その素朴である毎日をどう生きるかで人生が決まる。


それとふわっと心があたたかくなった。
「今の自分を認め許していい。」っていう所を読んで。


そんなふうに書かれていた。




話は変わるけど、実は最近、私はなぜシンプルライフが好きなんだろうって思って考えてた。

シンプルライフを始めたきっかけは一冊の本を今日のようにパラパラとめくっていた時に出会ったもの。


モノのない空間、モノを欲しいと思わないとは違う。むしろ消費することは好きなほうかもしれない。


シンプルな考え方。シンプルな空間。長く愛せるモノたちとのかかわり。


どうしてこうも長い間執着というか、リスペクトというのか、これまでも溺愛するのか。



ある自分なりの結論が出た。



前にも書いたけど、私はいじめられっこだった。



学校にいって友達に会うのが本当に辛かった。そのときどうしていじめられたのか未だかつてわからないんだけど、その時に感じた疎外感っていうのは今でも忘れられない。
その時の私はナニモノにも変えがたい恐怖な出来事だった。

でも家族は「こんな私に原因がある」と言った。


大人になった今、いじめられるほうにも原因があるというのは理解出来るけど、そのときの自分にその言葉は更に追い込まれる思いだった。

どうしていいか答えが出ないのに、お前が悪いと言われる。

それの繰り返し。毎日毎日、反省しなさいと言われる。



私は行き場を失った。高校生になって彼氏という名の味方が出来るまでは。
それまで途方もない真っ暗闇の心だった。


きっとそれは虐待に似た、いや虐待を受けていたんだと思う。そう言葉の虐待。
家族はもちろん励ましと虐待を勘違いした無意識で。


ここで言っておきたいが、更々親のことを悪く言おうなんて思っていない。
親や家族には感謝している。こんな私でも見放さずにいてくれたのだから。


だが、私は暴力を受けていた。見えない言葉の暴力。


私はきっと無心になりたいのだ。今でも外から帰ってくると襲ってくる不安、恐れ、後悔、劣等感。


シンプルライフが好きな人に共通するもののあるんじゃないかって思う。


ほっとする空間がほしい。人やモノに振り回されたくない。または選択していく余裕がない。
見えない重圧に押しつぶされそうな自分。


そこから私を唯一解放してくれるライフスタイルは私にとってとても心地よい。




やっと手に入れた自分の空間。

でもその空間が本当にいかされるのは、私が虐待されていた事実を認めてはじめて実現するものなのだけれど。


過去がどれだけ汚れたものであっても、今の等身大の私はそれも含めた私だから。


まだまだここから、まだ始まったばかり。

これからこそが真のシンプルライフ。




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Posted by YUUKA at 23:43│Comments(0)heart
 
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